店長story 18 《改心》

更新日:2019.09.18

〇前回までの店長story 17はこちら

2012年12月末日

山の工場・冷蔵冷凍庫・事務所
社員寮・食堂を全て閉鎖しました。
窓はべニア板で塞ぎました。

ずっと稼働していた
冷凍庫の氷が解け始めています。

年末、同じ水産加工業を営む
社長の所に挨拶に行きました。

山の工場で働く従業員達を
引き取ってくれたあの社長です。

「たまちゃんよぉ、
これからだって、
魚はもう獲れないで。
少ない漁でどうやって
借金かいしていぐのよ!」

「・・・下の工場だけで
やれることは限られています。
昆布巻きや昆布製品くらいしか
できないですね。
原料さえ手に入ったら、
松前漬けや酢イカとか
作れるんだけど・・・。

・・・返済金額が大きすぎて
非現実的で何も考えられないです。」

中小企業金融円滑化法を
利用しようと思っても、
既に○○億円の融資を受け
将来の見通しの立たない
会社には利用できないだろう。

また、役員の変更もなく
何の具体策もない再生案など
逃げの経営体質を続ける限り
民事再生法の申し立てをしても
棄却されるのは目に見えている。

ずっと、○○億円を返すために
一生働き詰めになるのか。

無駄に経費のかかるものはすべてやめて
お金の垂れ流しを防いだとしても
今度は出来ることが小さすぎて
全然稼ぐことは出来ない。

返済するのに
100年もかかるだろう。

私たちが死んだら、
4人の娘たちに返済義務が
行くんだろうか。

しかし、幸いなことに
私だけ保証人にはなっていない。

だとしたら、離婚して
子ども達は全員私の扶養にしたら
返済する義務から逃げられるだろうか。

「でも、社長。
まだ下の加工場で働く従業員が
4人残っています。

工場は電気が通ってるし
機械も動かすことはできます。
大阪の昆布屋さんから依頼されている
昆布の仕事もあります。

年が明けたら、事業計画作って
税理士と銀行にも相談してみます。」

「ほんずねえな。たく、お前さんたちは。
たまちゃん、年越し
うまいもん食って元気出せや。」

「社長、ありがとうございました。
また来年来ます。」

今回は丁寧に頭を
下げ会社を出ました。

年末、義姉妹家族は
帰省しませんでした。

こんな状態の実家だと
帰ってきづらいですよね。

申し訳ないです。

2012年 いろいろありすぎました。

6月に1歳上の兄を亡くしました。

生きるって何だろう。

将来に希望のあった
兄が亡くなり、

将来に絶望している私が
不平不満を言いながら生きている。

こんなひどい人生は
すべて周りのせい。

私は悪くない。
↑↑↑
私の考え、最悪です。。。

「すべての現象 己から発す。」

この言葉を知ったのは
ずっと後になってからです。

、、、兄ならどうするだろう。

きっと、一生懸命に何かをやるだろう。
そういえば、私の人生一度も
一生懸命に何かをやったことないかも。

勉強も、習っていた水泳も

ピアノも、家の掃除や手伝いも
いつも手を抜いてやっていました。
優秀な兄と愚劣な私。

でも、同じ血が流れていたら
私にもできるかも。

自分の人生、手を抜かず
本気で生きてみようか。

2013年はいい年にしたいです。

よし、頑張ってみよう。

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次回の「店長story 19」
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辛いことも多かったですが、
自分の人生の舵取りをする為に
必要な経験をたくさんしたと思います。

この店長STORYは
昔の暗い話ばかりが続きますが

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たまえ店長

能戸たまえ(店長)です。 昆布の魅力にハマり、美味しくて体に良い昆布を広める活動に人生を捧げる。 趣味:旅行、水泳、ピアノ、散歩  四姉妹の母

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