店長story39 《溝埋め》
〇前回までの店長story 38はこちら
〇店長story1はこちら
〇一覧はこちら
2013年
その頃の私は仕事で日中外に出る機会が増えてきました。
商品の配達に出たり、催事に出店したりと函館市内を車で走り回っていました。
それまでは四六時中子どもといるのが当たり前で、子どもの用事や買い物以外で出かけることはほとんどありませんでした。
出歩いてばかりいると思われるのが嫌でいつも義父母に謝りながら働いていました。
〈田舎での暮らし〉
私がここ尾札部町に引っ越してきたのは長女がまだ3歳くらいの時でした。
当時は田舎での同居生活に慣れることができず、ストレスで喉に食べ物が引っかかるようになりました。
義父母の前では子どもがいい子でいられるようにと考え、料理や家事、子育てをちゃんとできる嫁でいようとしていました。
でも、子どもは自由気ままな小怪獣でうるさいし言うことは聞かないし。
いつも怒ってばかりいました。
若いお母さんがわが子を虐待したり逆に放置したりする気持ちが私にはわかります。
実の子を・・・と一般的には思われがちですが、そうゆうニュースを見ると、いい母親になれなくて苦しんでいる若いお母さんが自分と重なり泣きたくなりました。
家事も子育ても慣れない環境でいつも自分を責めてばかりいました。
また、嫁と姑は距離感とバランスが大切だと思い、いつもその塩梅を探りながら生活をしていました。
嫁姑間のわだかまりは簡単にできやすくしこりが残りやすいと思います。
遠慮すると気が利かないという事になり、良かれと思ってやる事は出しゃばりすぎとなります。
ザルの乾かし方ひとつでわだかまりができます。
重点を置くポイントがそれぞれ違うのです。
小さいこと程大きく違和感が残ります。
絶妙な匙加減が必要であり、田舎での同居生活は心の鍛錬の日々です。
幸い母は優しく心の広い人なので不出来な私に対していつも協力的でいてくれました。
そんな生活を何年か続けたのちにこの仕事を始めた私は、やはり行き詰ってしまいました。
仕事で外出しているだけなのになんで謝んないといけないの?
わたしばっかりなんで? どうして?
こんな気持ちのままで仕事を続けられない、良い商品を売っていこうと思っているのにこんな気持ちで商売をしていてはだめだ。
母との溝は深まりどんどん家庭の空気が悪くなることを恐れた私は母に自分の気持ちを伝えることにしました。
子どもたちを保育園に送り出した後、
「お母さん、ちょっといいですか・・・」
茶の間でちょうど腰を下ろしたところに父もやってきました。
「私、いたらない嫁ですみません。子育てもままならないし、家事も中途半端だし。
仕事もたいして結果出せてないし。お母さんに面倒ばかりかけてすみません。」
そう言って、手をついて頭を下げました。
絨毯に涙がこぼれ始めました。
丸めた背中が震えました。
不甲斐ない自分を謝るつもりでしたが、我が儘で弱い自分の感情を押さえ切れずにさらけ出してしまいました。
母に、父に、助けを求めていました。
「要領悪いから仕事をしている割には何もできていない。
ただ、昆布を売るって決めた以上、自分は何でもやって会社を継続させたいと思っています。
私が仕事をすればする程お母さんには忙しい思いをさせてしまうけど・・・。
この仕事を続けても、いいですか?」
「ママ、おらもなんもできねでぇ、すんません。」
お父さんを見ると上唇を噛みしめながら渋い顔をしていました。
母は、「なんもいいんだよ。私も本当はがごめ昆布しょうゆをもっと売って、仕事をしたいと思っているんだわ。でももう歳だし何やっていいかわかんないし。
ママはそれができるんだからママが頑張って売んなさい。もっと売って広めてほしいと思っている。
ママに感謝してんだよ。続けてくれて。
本当ならもっと安定した生活ができたのに。会社潰れてつらい思いをさせてしまって。
ご飯支度なんてなんも苦じゃない。
じいちゃんだって黙っていられないんだから荷物運んだり手伝ってもらえばいいんだ。
ママ、思いっきりやんな。」
そう言って、うつ向いている私の肩を優しく撫でてくれました。
「おらも忙しい方がいいんだ。
なんかやってた方がボケ防止になるし。
いいっしょ、ママ。
なんもだいじょぶだ。がんばんべっ」
父母と話せたことで私が感じていた溝は埋まりました。
無駄に流れていたエネルギーが自分の中に戻り、じわっと熱くなり力が湧いてきました。
これからの自分の10年、昆布の仕事に捧げよう。
そう腹で決めました。
次回「店長story 40」は こちら
店長STORY一覧は こちら