店長story 1 《告白》

更新日:2018.11.01

いつも昆布村をご利用いただき
誠にありがとうございます。

店長の能戸たまえです。

2005年にネットショップ「昆布村」は
オープンしました。

結婚したばかりの私は
義理のお姉さんから

インターネットで物が売れるみたいだから
うちの商品もやったら売れるかもね♪

という軽い一言につられ、
その頃はまだ東京に住んでいた私は
何か会社の役に立てればと
思い始めました。

パソコンとHP作成本とソフトを買い
一から作りました。

始めて注文いただいた商品は
がごめ昆布きざみでした。
夜中受注台帳を見た時、
ひとり興奮しました(*^^*)

あれから、なんとかやめることなく
いつもお客様の「美味しいよ!」の一言に
支えられてここまでやってこれました。

こうやって仕事を続けられることは
お客様や取引先・仕入先の皆様、そしてスタッフのおかげです。
改めて感謝申し上げます。

以前は義父が経営をしていた会社で
昆布村の運営をさせてもらっていましたが
2014年に自分で会社を作り
能戸フーズ株式会社としてスタートしました。

未来ある明るいスタートとは程遠く
実はいろいろ訳あって私が代表で始めることになりました。

そのため、暗い話ばかりが続きますが
宜しければ仕事の手を休めた時や
お時間のある時などに
さらっとお読みいただければ幸いです。

本当に暗い話なので
読みにくい方はスルーしてください(^^;

それでは店長STORYをどうぞ。

———

思い返せば、
会社を作った2014年6月は
私一人でした。

と、その前に会社を作るすべを
何も知らなかった私は
他社の社員にさせてもらい
昆布販売の営業をしていました。

そうなると、
昆布を販売する仕事を始めたのは
さらに1年前の2013年からとなります。

なんでいきなり
ただの主婦が始めたの?
って思いますよね。

一言でいえば
「他にやる人がいなかったので、
成り行きで一人で始めることになった」

です。


さらに遡ること2012年

義理の父が経営していた
水産加工会社が苦渋の決断を
迫られていました。

義父の会社は
鮮魚や昆布原料の卸業の他、
イカの塩辛、たらこ、松前漬け、
イクラしょうゆ漬け等
数種類の水産加工品を製造していて、
地元でも大きな加工会社でした。

しかし、長引く不漁と
燃料費の高騰が続き、
昔大漁が続いた時に建てた
バカでかい冷凍庫や冷蔵庫、
中国からの派遣社員用社宅等の
維持費や仕事がほとんどなくても
年間を通して雇わなければならない
パートさんや社員の給料がかさばり、
父も主人も苦悩の日々を送っていました。

 

そんな状況とはつゆ知らず、
4人目を産んだばかりだった私は

「子育て、やっぱ、、、しんど~い。
早く、おっきくなんないかな~」と

 

毎日うるさい怪獣(こども)たちと
戦っていました(-“-)

そして、4人目が8か月になる頃、

夜、主人に呼ばれ、

「もう、会社はダメだ」

と宣告されました。
そして、

「会社を(俺を)助けてくれ」

と言われました。

「はぁ???」


・・
・・・イラっ・・・(--〆)
・・・イラっ・・・イラっ(--〆)
(・・・子育て中はすぐイライラする。)

「なんで、
 私がだよっ!!!」

ムカっ💢ムカっ💢ムカっ💢ムカっ💢

ブチ!! 

(・・・子育て中はすぐキレる。)

「子育てで、こっちは、
 いっぱいいっぱい
 なんだよっ!!💢」

キレました。。。(^^;

・・ビッグバンの始まりです。

その頃の私には、
主人を思いやるという優しさは
持ち合わせていませんでした( ̄▽ ̄)

その夜から、

2013年4月の前会社閉鎖に向けて、
自分史上最大の波乱万丈人生が
始まったのでした。

——

辛いことも多かったですが、
自分の人生の舵取りをする為に
必要な経験をたくさんしたと思います。

この店長STORYは
昔の暗い話ばかりが続きますが
読んだ感想や応援メッセージを
頂けると嬉しいです(^^)

次回「店長story 2」は こちら

 

たまえ店長

能戸たまえ(店長)です。 昆布の魅力にハマり、美味しくて体に良い昆布を広める活動に人生を捧げる。 趣味:旅行、水泳、ピアノ、散歩  四姉妹の母

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